京都 幕末維新史跡観光
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1846年 |
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2月13日 |
孝明天皇、践祚 |
1847年 |
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3月9日 |
京都学習所が開講される |
1849年 |
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2月23日 |
学習所を学習院と改名 |
1853年 |
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6月3日 |
東インド艦隊が浦賀沖に到着。中島三郎助と堀達之助が長崎に行くように交渉するが受け入れられず。 |
6月4日 |
東インド艦隊が江戸湾奥に向かう |
6月9日 |
戸田氏栄と井戸弘道が久里浜でペリーと会見。国書を受け取る |
6月15日 |
幕府はペリー来航を朝廷へ上奏 |
6月22日 |
12代将軍徳川家慶が死去 |
7月1日 |
老中阿部正弘がアメリカの要求につき諸大名・幕臣に意見を求める |
10月23日 |
徳川家定を13代将軍に宣下 |
1854年 |
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1月16日 |
ペリー艦隊が再来訪。 |
3月3日 |
日米和親条約調印 |
4月30日 |
日米和親条約を不服とし、徳川斉昭が辞任 |
8月23日 |
日英和親条約調印 |
12月21日 |
日露和親条約調印 |
1855年 |
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9月18日 |
幕府、朝廷へ外国との条約締結について奏聞 |
10月9日 |
堀田正睦が老中首座に就任 |
12月23日 |
日蘭和親条約調印 |
1856年 |
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10月17日 |
老中堀田正睦は外国事務取扱・海防月番専任に就く |
1857年 |
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12月13日 |
朝廷に日米通商条約を結ぶ事を報告 |
1858年 |
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1月8日 |
堀田正睦は条約勅許を得る為に京都へ行く |
2月5日 |
堀田正睦入洛 |
4月23日 |
井伊直弼を大老に任命 |
5月1日 |
将軍継嗣を徳川慶福にする旨を老中に申し渡す |
6月21日 |
堀田正睦と松平忠固を免職 |
6月22日 |
日米通商条約の報が京都へ届く。孝明天皇が譲位を表する。 |
6月25日 |
諸大名が総登城し将軍継嗣は徳川慶福と発表 |
7月4日 |
13代将軍徳川家定が死去 |
7月5日 |
徳川慶勝・松平慶永を隠居の上謹慎。徳川斉昭を謹慎。徳川慶篤・一橋慶喜を登城停止。 |
8月8日 |
徳川家定の死去を発表 |
9月7日 |
梅田雲浜捕縛され、安政の大獄が始まる |
10月25日 |
徳川家茂を14代将軍に宣下 |
1859年 |
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1月 |
宮家公卿の家臣が逮捕され、以降宮家公家も逮捕される |
2月17日 |
青蓮院宮尊融親王、一条忠香ら謹慎処分 |
4月22日 |
鷹司政通、近衛忠煕、三条実万ら出家・謹慎処分 |
4月26日 |
水戸藩家老安藤帯刀ら逮捕 |
5月28日 |
アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、オランダに神奈川、長崎、函館の3港での貿易を許可 |
8月27日 |
安藤帯刀らに切腹命令 |
9月14日 |
梅田雲浜が獄死 |
10月7日 |
橋本左内、頼三樹三郎、飯泉喜内を処刑 |
1860年 |
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3月3日 |
桜田門外の変。井伊直弼が暗殺される |
5月11日 |
淀藩藩校明親館を開校 |
8月18日 |
和宮降嫁勅許を幕府に内達 |
11月1日 |
和宮内親王降嫁を発表 |
1861年 |
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10月20日 |
和宮、桂御所より江戸へ出立 |
12月11日 |
和宮が江戸城に入る |
1862年 |
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1月15日 |
坂下門外の変。老中安藤信正が浪士6人に襲撃され重傷を負う |
2月11日 |
徳川家茂と和宮の婚儀が行われる |
4月16日 |
島津久光、薩摩藩兵を率い入京 |
4月23日 |
寺田屋騒動。伏見寺田屋で薩摩藩士が主命により斬殺 |
5月12日 |
長州藩士 長井雅楽、開国政策建白の為に入京 |
5月22日 |
勅使と供に薩摩藩 島津久光が江戸へ出立 |
6月10日 |
勅使大原重徳が徳川家茂に一橋慶喜、松平慶永の登用の勅旨を伝える |
7月6日 |
一橋慶喜を将軍後見職に任命 |
7月9日 |
松平慶永を政事総裁職に任命 |
7月20日 |
島田左近、暗殺される |
8月21日 |
生麦事件。薩摩藩の行列を横切ったイギリス人4人が斬り付けられる |
閏8月1日 |
松平容保を京都守護職に任命 |
10月17日 |
講武所剣術教授 松平主税助が幕府に浪士組結成を献策する |
11月2日 |
攘夷の勅旨に従うことを決定 |
12月8日 |
清河八郎、幕府に献策し浪士を募集 |
12月24日 |
鵜殿鳩翁、浪士組取締を命じられる。
松平容保、会津藩兵を率い金戒光明寺に入る。 |
1863年 |
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1月5日 |
一橋慶喜が入京 |
1月7日 |
松平主税助が浪士募集の命を受ける |
1月17日 |
清河八郎に対する捕縛の命が取り消される |
1月19日 |
山岡鉄舟、近藤勇と面談 |
2月4日 |
小石川伝通院で幕府浪士組の会合が開かれる |
2月8日 |
幕府浪士組234名、伝通院より京都へ出発 |
2月13日 |
徳川家茂が上洛 |
2月23日 |
幕府浪士組234人京都へ着 |
2月24日 |
清河八郎、学習院に浄書を提出 |
2月25日 |
等持院の足利将軍木像が晒される |
3月3日 |
浪士組に東下の命が下る |
3月7日 |
徳川家茂、御所に参内 |
3月10日 |
会津藩へ残留浪士差配の命が下り浪士組が嘆願書を提出 |
3月12日 |
浪士組、会津藩預かりとなる |
3月13日 |
分裂した浪士組、江戸へ帰還 |
3月16日 |
浪士組、会津藩主松平容保に拝謁 |
3月22日 |
浪士組、将軍東帰反対の嘆願書を板倉勝静に提出 |
3月25日 |
浪士組、殿内義雄暗殺。根岸友山ら離隊 |
4月2日 |
浪士組、大阪の平野屋五兵衛から百両を借用し羽織を作成 |
4月11日 |
孝明天皇、攘夷祈願の為に石清水行幸 |
4月13日 |
清川八郎が麻布一ノ橋で佐々木唯三郎らに暗殺される |
4月15日 |
浪士組は庄内藩に預けられ新徴組となる |
4月20日 |
徳川家茂は攘夷期限を5月10日と奉答 |
4月21日 |
徳川家茂、大坂へ出立 |
5月11日 |
徳川家茂、帰京 |
5月20日 |
猿ヶ辻の変。姉小路公知、猿ヶ辻で暗殺される |
6月3日 |
浪士組、大阪で力士と乱闘 |
6月26日 |
浪士組、横田長兵衛を斬殺 |
6月27日 |
浪士組と水口藩が和解の為、角屋で酒宴。芹沢鴨が角屋に営業停止を申し付ける |
7月1日 |
浪士組、石塚巌を捕縛 |
7月4日 |
浪士組、鴻池より230両を借料 |
7月30日 |
会津藩兵、建春門前で馬揃えを行なう |
8月2日 |
浪士組隊士 佐々木愛次郎・あぐりを芹沢一派が斬殺 |
8月10日 |
浪士組隊士 佐伯亦三郎を芹沢一派が斬殺 |
8月12日 |
浪士組 芹沢鴨ら大和屋を襲撃 |
8月18日 |
禁門の変。長州藩は京を追われる。
七卿落ち。尊攘派7卿も長州藩と西下する。
浪士組は新選組の名を拝命。 |
8月21日 |
新選組、桂小五郎の従者2名を捕縛 |
8月24日 |
新選組、古東領左衛門を捕縛 |
9月13日 |
新選組、隊士 新見錦に自刃を強要 |
9月16日 |
新選組、隊士 芹沢鴨、平山五郎を斬殺。平間重助は逃亡。 |
9月18日 |
新選組、芹沢鴨、平山五郎の葬儀を執り行う |
9月26日 |
新選組、隊士 御倉伊勢武、荒木田左馬之助、楠小十郎を間者として斬殺 |
11月11日 |
新選組、西条幸太郎を捕縛 |
11月16日 |
徳川慶喜、大阪へ出立 |
11月26日 |
徳川慶喜、大阪より帰京 |
12月27日 |
新選組、隊士 野口健司が切腹 |
12月30日 |
朝廷、徳川慶喜、松平容保、松平春嶽、山内豊信、伊達宗城に朝議参与を命じる |
1864年 |
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1月15日 |
徳川家茂、再度上洛 |
2月11日 |
松平容保が幕府陸軍総裁に就任 |
2月15日 |
松平春嶽、京都守護職に就任 |
3月25日 |
徳川慶喜、禁裏守衛総督に就任 |
4月6日 |
新選組、佐田介石ら5名を捕縛 |
4月7日 |
松平容保、京都守護職に再任 |
4月24日 |
京都見廻組が江戸にて結成 |
5月7日 |
徳川家茂、江戸へ出立 |
5月20日 |
新選組、大阪で大阪西町奉行与力内山彦次郎を暗殺 |
6月5日 |
池田屋事変 |
6月6日 |
新選組、池田屋惣兵衛、土佐藩士 大利鼎吉を捕縛 |
6月7日 |
新選組、京都見廻組お抱えに対し拒絶の返書を提出 |
6月10日 |
新選組 明保野事件。土佐藩士麻田時太郎を会津藩士柴司が誤って刺してしまう |
6月11日 |
土佐藩士 麻田時太郎が自刃 |
6月12日 |
会津藩士 柴司が自刃 |
6月21日 |
長州軍が大阪へ着 |
7月8日 |
新選組、長州藩密偵 渡辺九八郎を捕縛 |
7月13日 |
池田屋惣兵衛、六角牢で獄死 |
7月19日 |
禁門の変 |
7月20日 |
六角牢にて囚人多数が殺害される |
7月21日 |
天王山にて真木和泉ら17名が自刃 |
8月2日 |
長州征討令を35藩に命じる |
9月5日 |
近藤勇、隊士募集の為に江戸へ出立 |
9月6日 |
新選組、隊士 葛山武八郎が近藤勇批判の為切腹 |
9月7日 |
新選組、水口貢、東一郎を捕縛 |
9月9日 |
近藤勇が上洛要請と隊士募集の為、江戸に入る |
10月15日 |
近藤勇ら伊東甲子太郎など新入隊士を連れ江戸出立 |
10月27日 |
近藤勇、帰京 |
12月5日 |
長州藩は幕府に謝罪書を提出 |
12月27日 |
長州征討軍は撤兵 |
1865年 |
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1月8日 |
新選組、ぜんざい店石蔵屋を襲撃。土佐藩大利鼎吉を斬殺 |
1月25日 |
京都見廻組、兵庫で佐々木六角源氏太夫ら14名を捕縛 |
2月22日 |
新選組、隊士 山南敬介が脱走 |
2月23日 |
山南敬介、屯所で切腹 |
2月24日 |
山南敬介の葬儀が執り行われる |
3月10日 |
新選組、屯所を西本願寺北集会所に移転 |
3月29日 |
長州藩再征討を布告 |
4月5日 |
新選組土方歳三ら試衛館に到着 |
4月27日 |
新選組土方歳三ら新入隊士を連れ江戸出立 |
5月16日 |
徳川家茂が江戸城を進発 |
5月22日 |
徳川家茂、参内し長州再討を奏上 |
5月26日 |
新選組、大阪で藤井藍田を捕縛 |
閏5月15日 |
新選組、河瀬太宰を捕縛 |
閏5月18日 |
新選組、河内狭山藩士 山本時次郎を捕縛 |
閏5月22日 |
徳川家茂が入京。
松本良順、新選組屯所を訪れ衛生状態を確認。以降1ヶ月余り南部精一が屯所へ往診に来る事とする。 |
閏5月24日 |
徳川家茂、大阪へ出立 |
6月21日 |
新選組、隊士 石川三郎、施山多喜人が切腹 |
8月8日 |
新選組、薩摩藩士 橋口四郎を斬殺、隈本荘助を捕縛 |
9月21日 |
長州再討の勅許が降りる |
11月4日 |
近藤勇ら長州訊問使に従い広島へ出立 |
11月7日 |
長州藩再征討を32藩に命じる |
12月22日 |
近藤勇、広島より帰京 |
1866年 |
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1月21日 |
薩長同盟を薩摩藩邸で締結 |
1月23日 |
寺田屋事件。伏見寺田屋で坂本龍馬が伏見奉行に捕縛されそうになるが逃走 |
1月27日 |
近藤勇ら再度、広島へ出立 |
2月12日 |
新選組、河合耆三郎が切腹 |
3月12日 |
近藤勇、広島より帰京 |
3月27日 |
伊東甲子太郎ら広島より帰京 |
6月8日 |
長州藩に宣戦布告 |
7月8日 |
山崎蒸、広島より帰京 |
7月20日 |
徳川家茂が大阪城で死去 |
7月30日 |
一橋慶喜が徳川宗家相続 |
8月16日 |
徳川慶喜が参内し征長軍解散を奏請 |
8月20日 |
徳川家茂の喪を公表 |
9月2日 |
勝海舟と長州藩広沢兵助が会談し撤兵協議が成立 |
9月12日 |
新選組、三条制札場で土佐藩士 藤崎吉五郎を斬殺、宮川助五郎を捕縛 |
9月19日 |
新選組と土佐藩が祇園で会合し制札事件を和解する |
12月5日 |
徳川慶喜が15代将軍に宣下 |
12月25日 |
孝明天皇崩御 |
1867年 |
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1月9日 |
明治天皇即位 |
3月10日 |
新選組、伊東一派が孝明天皇御陵衛士を拝命 |
6月10日 |
新選組、幕臣取立てが決定 |
6月13日 |
新選組、佐野七五三之助ら会津藩に脱退請願書を提出 |
6月14日 |
新選組、佐野七五三之助ら京都守護職邸で切腹 |
6月15日 |
新選組、屯所を不動堂村へ移転 |
6月22日 |
薩土同盟締結。
新選組、隊士 武田観柳斎を斬殺 |
8月14日 |
一橋家臣 原市之進が暗殺される |
9月22日 |
近藤勇と後藤象二郎が面談 |
10月13日 |
徳川慶喜は在京40藩の重役を召し大政奉還を諮問 |
10月14日 |
大政奉還を上奏 |
10月17日 |
江戸に大政奉還が伝わる |
10月24日 |
徳川慶喜は征夷大将軍の辞表を提出するが却下 |
11月10日 |
御陵衛士より斎藤一が帰隊 |
11月12日 |
薩摩藩兵千人余りが入京 |
11月15日 |
坂本龍馬、中岡慎太郎が近江屋で暗殺される |
11月18日 |
新選組、御陵衛士 伊東甲子太郎らを斬殺 |
12月7日 |
天満屋事件。新選組と土佐藩士で乱闘 |
12月9日 |
小御所会議。大政復古の大号令。徳川慶喜の辞官納地が決定 |
12月12日 |
徳川慶喜、二条城を去り大阪に出立 |
12月14日 |
徳川慶喜、辞官納地を拒否 |
12月16日 |
徳川慶喜、英米仏蘭伊普の6カ国代表を招き情勢を説明。
新選組、伏見奉行所へ布陣。 |
12月18日 |
近藤勇が御陵衛士から狙撃され重傷を負う |
12月20日 |
近藤勇、沖田総司が大阪へ出立 |
12月25日 |
三田の薩摩藩邸焼討 |
12月27日 |
五卿が筑前より京都に帰還 |
1868年 |
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1月1日 |
諸藩に討薩の出兵を命じ、大目付に討薩の表を持ち上洛を命じる |
1月2日 |
幕府連合軍15000が京都へ向かう |
1月3日 |
鳥羽伏見の戦い。 幕軍は伏見奉行所を本営とし夕刻より戦闘開始 |
1月4日 |
嘉彰親王が薩長軍本営に入り、幕軍は事実上の賊軍となる |
1月5日 |
錦旗が戦場に翻る。
淀藩、閉城し西軍に付く。
千両松の戦いで新選組隊士 井上源三郎ら十数名戦死。
西園寺総督を山陰道に派遣。
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1月6日 |
徳川慶喜は松平容保らを引き連れ夜半に大阪城を抜け出し江戸へ向け密かに出航。
津藩が官軍に付く。 |
1月7日 |
大阪城にて松平豊前守より解散命令が出る。
官軍は徳川慶喜征討令を出す。 |
1月9日 |
幕軍は大阪城を開け渡す。
高倉永?を北陸道総督に任命。 |
1月10日 |
徳川慶喜以下の官位を剥奪 |
1月11日 |
徳川慶喜は品川に到着し江戸城に入城。
岩倉具定を東山総督に任命。 |
1月15日 |
王政復古の布告 |
1月19日 |
徳川慶喜は江戸城でフランス公使ロッシュと会談し再挙兵を拒否 |
1月23日 |
小栗忠順を罷免。大久保一翁、勝海舟を登用 |
2月9日 |
有栖川宮熾仁親王を東征大総督に任命。
土佐藩 板垣退助を東山道督府参謀に任命。 |
2月12日 |
徳川慶喜は江戸城を出て、上野寛永寺に入り謹慎
近藤勇に徳川慶喜警護の命が下る。 |
2月23日 |
薩摩藩 伊地知正治を東山道督府参謀に任命。 |
2月26日 |
奥羽鎮撫総督に九条通孝、副総督に沢為量を任命。 |
3月2日 |
徳川慶喜は彰義隊に恭順を命じる |
3月5日 |
山岡鉄舟、江戸を出立 |
3月6日 |
総督府は江戸城攻撃を命じる。
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3月8日 |
西軍、3月15日を江戸総攻撃と決める |
3月9日 |
山岡鉄舟、駿府で西郷隆盛と面会 |
3月11日 |
新選組の近藤勇・土方歳三と意見が別れ、永倉新八・原田左之助らが靖共隊を設立 |
3月13日 |
高輪薩摩藩邸で勝海舟と西郷隆盛が会見し江戸城無血開城を決定 |
3月14日 |
西郷隆盛は江戸城攻撃を中止
五箇条の御誓文下る
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3月15日 |
川路聖謨が自殺 |
3月20日 |
江戸城を明け渡す
輪王寺宮、東叡山に帰る |
3月29日 |
田安亀之助が徳川宗家を相続 |
4月4日 |
江戸城に東海道先鋒軍が入る
土方歳三は近藤勇の赦免の為、勝海舟・大久保一翁と会談 |
4月11日 |
江戸城を引き渡す。
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4月15日 |
徳川慶喜は水戸に到着し謹慎 |
4月21日 |
東征大総督府が江戸城に入る |
4月25日 |
近藤勇、板橋で斬首 |
閏4月6日 |
小栗上野介忠順、上州で処刑される |
5月15日 |
上野戦争。彰義隊に新政府軍が総攻撃し彰義隊は敗退 |
5月24日 |
徳川家達は駿河府中70万石に封じられる |
5月30日 |
沖田総司病死 |
7月17日 |
江戸を東京と改称 |
9月8日 |
明治に改元 |
9月20日 |
明治天皇は東京行幸へ出発 |
10月13日 |
明治天皇が東京へ到着 |
1869年 |
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1月5日 |
横井小楠が暗殺される |
1月20日 |
薩長土肥の連署で版籍奉還の上表 |
6月17日 |
朝廷は版籍奉還を勅許。 公卿諸侯を廃止、華族とする |
6月18日 |
稲葉正邦、淀藩知事に就任 |
7月24日 |
田辺権太夫、淀藩大参事に就任 |
9月4日 |
大村益次郎が襲撃され重傷を負う |
1871年 |
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6月25日 |
木戸孝允以外の参議が辞任し西郷隆盛が参議に任命 |
7月14日 |
廃藩置県。 |
11月12日 |
岩倉具視を全権大使とする欧米視察団が横浜より出航 |
1872年 |
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3月10日 |
京都博覧会が開催 |
7月19日 |
西郷隆盛を陸軍元帥・近衛都督に任命 |
1873年 |
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5月27日 |
小野組転籍事件。小野組の他県移転不許可を不服とし提訴 |
8月17日 |
参議西郷隆盛の朝鮮派遣を決定 |
10月15日 |
西郷隆盛の朝鮮派遣を再決定 |
10月17日 |
朝鮮派遣に反対する木戸孝允、大久保利通、大隈重信、大木喬任が辞任 |
10月23日 |
西郷隆盛は辞任し鹿児島へ帰国 |
10月25日 |
西郷派の板垣退助、江藤新平、後藤象二郎、副島種臣が辞任 |
1874年 |
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1月 |
江藤新平が佐賀へ帰国 |
4月18日 |
木戸孝允は台湾出兵に反対し辞任 |
1875年 |
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11月29日 |
同志社英学校が開校 |
1876年 |
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3月28日 |
廃刀令 |
1878年 |
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5月14日 |
大久保利通が紀尾井坂で島田一郎らに暗殺される |