西方寺・小谷墓地

太田垣蓮月の墓が小谷墓地にあり、蓮月を紀念して故蓮月尼紀念碑が小谷墓地隣の西方寺に建てられた。

太田垣蓮月・・・歌人、尼僧、陶芸家。俗名は誠(のぶ)。
実父は津藩家老 藤堂良聖。生後10日で知恩院勤務の太田垣光古の養女となる。生母が後に亀山藩士に嫁いだ縁で寛政10年(1798年)より亀山城で奉公を務める。
文化4年(1807年)太田垣家に養子に迎えた望古と結婚し1男1女を得たが幼くして亡くし、文化12年(1815年)には夫の望古も亡くす。
文政2年(1819年)新たに太田垣家に養子に迎えた古肥と再婚し1女を得たが文政6年(1823年)に夫の古肥が亡くなる。
古肥の死後、名を蓮月とし剃髪して仏門に入り、知恩院内の真葛庵の守役となる。知恩院を出た後は「屋越し蓮月」と呼ばれるほど引越を繰り返した。
生計を立てる為に陶芸を始め焼物に自咏の和歌を彫った「蓮月焼」が京都土産となるほど人気となった。
慶応4年(1868年)鳥羽伏見の戦いが始まると薩摩藩 西郷隆盛に「あだ味方 勝つも負くるも 哀れなり 同じ御国の 人と思へば」と停戦を呼び掛ける和歌を送った。
寛政3年(1791年)2月10日誕生。明治8年12月10日死去。

住所 京都府京都市北区西賀茂鎮守菴町50
地図
故蓮月尼紀念碑 西方寺
西方寺 案内
太田垣蓮月の墓 太田垣蓮月の墓