梅田雲浜先生旧蹟

梅田雲浜が嘉永5年(1852年)藩政を批判する海防策意見書を藩に建白して藩主の忌諱に触れ藩籍を削られ浪人となり移り住んだ一乗寺葉山観音堂の堂守小屋跡。

梅田雲浜・・・小浜藩士。
安政の大獄最初の逮捕者。矢部岩十郎義比の次男として生まれ、後に祖父の実家の性である梅田を名乗る。
天保14年(1843年)以降、京都に移り、小浜藩が管理した望南軒の講主となる。
嘉永5年(1852年)藩政を批判する海防策意見書を藩に建白したが、藩主の忌諱に触れ藩籍を削られ浪人となる。
京都において尊王攘夷運動の中心人物として活動し安政の大獄で逮捕され獄死する。
文化12年(1815年)6月7日生誕。安政6年(1859年)9月14日獄死。

住所 京都府京都市左京区一乗寺葉山町21−1
地図
     一乗寺葉山観音堂 一乗寺葉山観音堂