三縁寺
元治元年(1864年)6月5日の池田屋事件で戦死した9名の墓と文久3年(1863年)7月26日闘死した上松巳八 友胤の墓がある。
吉田稔麿・・・長州藩士。
松下村塾で吉田松陰に学ぶ。万延元年(1860年)に脱藩し福知山、山陰、江戸に遊学。文久2年(1862年)に脱藩の罪を許され帰参。
文久3年(1863年)3月長州藩の兵士を増やすため「屠勇取立」を建白。同年6月、高杉晋作が創設した奇兵隊に参加して屠勇隊を創設。
同年8月、奇兵隊が幕艦 朝日丸を占拠した朝日丸事件を解決する。元治元年(1864年)長州藩の密使として上京し各藩の志士と交わる。
同年6月5日、池田屋事件で戦死。
天保12年(1841年)閏1月24日誕生。元治元年(1864年)6月5日戦死。
杉山松介・・・長州藩士。
吉田松陰の松下村塾で学ぶ。文久2年(1862年)上京し尊王攘夷活動を行う。
文久3年(1863年)八月十八日の政変後も京都に潜伏し長州藩の朝議回復活動を行う。
元治元年(1864年)6月5日、池田屋事件で重傷を負い脱出したが長州藩邸で6日に死去。
一説には池田屋にいる桂小五郎(木戸孝允)の身を案じて、池田屋に向かう際に会津兵と衝突して重傷を負い6日に死去とも。
天保9年(1838年)誕生。元治元年(1864年)6月6日死去。
北添佶摩・・・勤王志士。
土佐藩高岡郡岩目地村の庄屋 北添与五郎の五男。庄屋職を継ぎ19歳で高北九ヶ村の大庄屋となる。
土佐勤王党に加盟し文久3年(1863年)に脱藩して江戸へ出る。東北、北海道を周り北方開拓・防御を発案。
のち京都へ入り勤王志士と交わる。元治元年(1864年)6月5日池田屋事件で戦死又は自刃する。
天保4年(1833年)誕生。元治元年(1864年)6月5日死去。
望月亀弥太・・・土佐藩郷士。
文久元年(1861年)兄 望月清平と共に土佐勤王党に加盟。文久2年(1862年)10月、土佐藩勤王派の五十人組に参加し江戸へ行く。
文久3年(1863年)藩命を受け神戸海軍操練所に入所。元治元年(1864年)土佐藩より帰国命令が出されてため脱藩し京都で各藩の志士と交わる。
同年6月5日、池田屋事件で戦死。
天保9年(1838年)誕生。元治元年(1864年)6月5日戦死。
石川潤次郎・・・土佐藩郷士。
文久元年(1861年)土佐勤王党に加盟。元治元年(1864年)藩命により上京し三条実美邸の警備を勤める。
同年6月5日、池田屋事件で戦死。
天保7年(1836年)8月誕生。元治元年(1864年)6月5日戦死
広岡浪秀・・・宮司。尊王志士。
文久2年(1862年)に長門から上京。文久3年(1863年)八月十八日の政変後は長州藩の汚名返上の為に各地を遊説して回る。
元治元年(1864年)6月5日、池田屋事件で戦死。
天保12年(1841年)1月1日誕生。元治元年(1864年)6月5日戦死。
大髙又次郎・・・林田藩士。
甲州流軍学、西洋砲術などを学び、皮具足の製造にも長じ「大高製の皮具足」と呼ばれて好評を得る。
安政5年(1858年)脱藩し上京。梅田雲浜宅に住み込みで師事し勤王志士と交わる。
安政の大獄で梅田雲浜が捕えられ江戸へ送られたのを追い江戸に潜伏し奪還の機会を窺うも梅田雲浜は処刑される。
大髙又二郎にも幕府の追捕が迫り京都の長州藩邸に逃げ込む。のち古高俊太郎宅に住み武具調達を担当。
元治元年(1864年)6月5日、池田屋事件で戦死。
文政4年(1821年)12月誕生。元治元年(1864年)6月5日戦死。
宮部鼎蔵・・・熊本藩兵学師範。
医師 宮部春吾の長男として生まれ、叔父で山鹿流軍学師範 宮部丈左衛門の養子となる。
嘉永3年(1850年)熊本藩兵法師範となり、嘉永4年(1851年)家老 有吉頼母に従い江戸に行く。
江戸で同じ山鹿流の長州藩士 吉田松陰と交わり、嘉永5年(1852年)東北諸藩を吉田松陰と共に遊歴する。
安政2年(1855年)熊本藩兵学師範を辞め退隠。文久2年(1862年)門人と共に上京し諸藩の志士と交わる。
文久3年(1863年)八月十八日の政変で長州に落ち、元治元年(1864年)再び京都へ潜入。
元治元年(1864年)6月5日、池田屋事件に遭遇し自刃。
文政3年(1820年)4月誕生。元治元年(1864年)6月5日自刃。
松田重助・・・熊本藩士。
林桜園に国学、宮部鼎蔵に兵学を学ぶ。弘化3年(1846年)藩の役人に取り立てられる。
嘉永6年(1853年)江戸に出て尊王攘夷活動を行う。各藩勤王志士と交わり熊本藩の藩論を勤王に統一しようと活動するも実らず、文久4年(1864年)に上京。
元治元年(1864年)6月5日に池田屋事件に遭遇し戦死。一説には6月5日に捕縛されたが逃げ、6月6日に戦死したとも。
天保元年(1830年)元治元年(1864年)6月5日戦死。
上松巳八 友胤・・・熊本藩士。兼坂五郎右衛門支配外様足軽格。
文久3年(1863年)7月26日、佐幕派と目された徳大寺家臣 二条寛斎の自宅を襲い闘死。
文久3年(1863年)7月26日闘死。
住所 京都府京都市左京区岩倉花園町606
吉田稔麿 杉山松介 北添佶摩 望月亀弥太 石川潤次郎 広岡浪秀
大髙又次郎
宮部鼎蔵 松田重助
宮部鼎蔵 松田重助
上松巳八 友胤
池田屋事変殉難烈士之墓
三縁寺
三縁寺
池田屋事変殉難烈士之墓 碑