福昌寺

「寺の後方は山がせまり渓流が流れ、全面は広く平野が開ける。広大な寺域には大小様々な建物が並び、大きな回廊によってむすばれている」‐藩政時代、領内の名所を紹介した「三国名勝図絵」は、寺域として栄えたこの辺り一帯の景観を伝えています。
玉龍山福昌寺は1394年(応永元)島津一族の石屋真梁禅師を開山に、島津家7代元久が建てて、代々島津藩主の菩提所となった寺院です。
曹洞宗の流れをくみ、南九州一円の僧侶を支配する僧録所、さらには勅願所として、その末寺は九州はもとより中国、四国にまで広がったといわれます。
総本山総持寺の管長までのぼった石屋禅師をはじめ、フランシスコ・ザビエルとの親交で知られる忍室といる和尚や西郷隆盛、大久保利通を悟した無参和尚など多くの名僧を出しましたが1869年(明治2)の廃仏毀釈で廃寺となり、跡地は玉龍高校となりました。現在、法燈は北薩川内の地で守られています。
【現地案内板より】
島津斉彬・英姫 島津斉興 島津久光 由羅 島津哲丸
島津虎寿丸 島津斉興の実母 弥姫 島津武良子 島津菊三郎
横山安武 西田直五郎 山田一郎左衛門 清安 蓑田伝兵衛 調所笑左衛門 広郷 無参

住所 鹿児島県鹿児島市池之上町24
    地図
福昌寺 福昌寺 案内
福昌寺 案内 島津公神道碑