島津斉彬・英姫
島津斉彬・・・薩摩藩11代藩主。島津氏28代当主。
弘化年間に西洋技術の導入を唱え、父である藩主 島津斉興や家老 調所広郷と対立。
嘉永年間に島津斉興の後継ぎとして由羅の子で五男の島津久光を推す派と対立し「お由羅騒動(高崎崩れ)」と呼ばれるお家騒動が起る。
嘉永4年(1851年)幕府の介入により薩摩藩主に就任。
幕府老中 阿部正弘を補佐し、将軍継嗣問題では一橋慶喜を推し、将軍 徳川家定の継室として天璋院篤姫を輿入れさせた。
薩摩藩政では富国強兵、殖産興業策として集成館事業を起こし薩摩藩の近代化を推し進め、西郷隆盛や大久保利通など下級武士でも実力のある者を育て重用した。
文化6年(1809年)9月28日誕生。安政5年(1858年)7月16日死去。
英姫・・・島津斉彬の正室。一橋徳川家3代当主 徳川斉敦の子。
島津斉彬の死後は栄樹院と名乗る。文化9年(1812年)島津斉彬に嫁ぎ、文政12年(1829年)8月3日に長男 菊三郎を出産するも翌月9月11日に夭折してしまう。
文化2年(1805年)1月23日誕生。安政5年(1858年)9月10日死去。
住所 鹿児島県鹿児島市池之上町24(福昌寺)
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島津斉彬(右) 英姫(左) |
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