由良守応生誕地
由良守応・・・和歌山藩士。勤王家。実業家。
庄屋 由良弥三兵衛の長男として生まれ、馬術、剣術、漢学を学び公卿の庭田家に仕え尊攘運動を行う。元治元年(1864年)11月18日、和歌山藩士に取り立てられる。
明治元年(1868年)新政府に仕え大阪府勧農課、大蔵省、宮内省と務め、明治5年(1872年)大蔵省官費留学生として欧米へ渡航し、現地で岩倉使節団と合流する。
明治6年(1873年)5月27日に帰国。同年9月13日に皇宮馬車掛長に就任。同年11月7日に皇后,皇太后が乗った馬車が転覆し引責辞任する。
明治7年(1874年)乗合馬車の「千里軒」を開業し日本で初めて2階建ての乗合馬車を走らせる。明治13年(1880年)競合の馬車会社が増えてきた為に営業権を譲る。
その後、牧場経営を行い、明治20年(1887年)大日本発動機を創立し発動機製造を試みるが完成に及ばずに廃業する。
文政10年(1827年)2月25日誕生。明治27年(1894年)2月17日死去。
住所 和歌山県日高郡由良町門前364
|
由良守応生誕地 碑 |
由良守応生誕地 案内 |
|
|
|
由良守応生誕地 |
|
|
|