鳥山啓顕彰碑
鳥山啓・・・田辺藩士。教育家。「軍艦行進曲」作詞家。
庄屋 田所顕周の次男として生まれ漢学、国学、本草学などを学び、動植物や天文学などにも通じた。田辺藩士 鳥山純昭の養子となり19歳で家督を継ぐ。
慶応2年(1866年)第2次長州征伐に砲兵隊として出陣。維新後は田辺藩学校で英語教師を振り出しに教育家となる。
後に和歌山師範学校、和歌山中学校で教鞭をとる。その間に南方熊楠に博物学を教え影響を与える。
明治19年(1886年)東京の華族女学校教授となる。明治26年(1893年)鳥山啓が作詞した「軍艦」に曲がつけられ軍歌となる。
明治39年(1906年)華族女学校と学習院が合併し学習院女学部となったのを機に辞職し自宅で余生を過ごす。
大正3年(1914年)海軍省教育局が軍歌集『海軍軍歌』を発布し「軍艦」が収められる。
天保8年(1837年)3月25日誕生。大正3年(1914年)2月28日死去。
住所 和歌山県田辺市扇ヶ浜2−10(扇ヶ浜公園)