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渋沢栄一・渋沢平九郎の墓
渋沢栄一・・・幕臣。実業家。
武蔵国榛沢郡血洗島村(現、埼玉県深谷市血洗島)の農家の三男。
幼少期に従兄である尾高惇忠に論語や四書五経などを学び、大川平兵衛に剣術 神道無念流を学ぶ。
安政5年(1858年)に尾高惇忠の妹 尾高千代と結婚。文久元年(1861年)に江戸 お玉が池の北辰一刀流千葉道場に入門し尊王攘夷の思想を得る。
文久3年(1863年)尾高惇忠や渋沢喜作らと憤慨組を結成し高崎城の乗っ取りを計画するが、義弟の尾高長七郎に説得され中止し京都へ出奔する。
元治元年(1864年)親交のあった一橋家 平岡円四郎の推挙により一橋慶喜に仕え、一橋家歩兵取立御用掛を命ぜられ領内を巡歴し兵力を集める。
慶応2年(1866年)12月に一橋慶喜が15代将軍となり、渋沢栄一も身分が幕臣となる。
慶応3年(1867年)パリ万国博覧会に将軍名代として出席する徳川昭武の随員として渡欧。
明治元年(1868年)9月4日、明治維新に伴い新政府から命じられマルセイユから帰国の途に就き11月3日に横浜に帰国。
帰国後は民部省、大蔵省に出仕し明治6年に実業界に転身する。
実業界では現在のみずほ銀行、りそな銀行、埼玉りそな銀行、王子ホールディングス、日本製紙、大日本印刷、日本経済新聞社、東京海上日動火災保険、JR東日本、、日本郵船、東京電力、東洋紡、太平洋セメント、キリンホールディングス、東京製綱、帝国ホテル、サッポロホールディングス、アサヒグループホールディングス、大成建設、古河機械金属、古河電気工業、富士通、富士電機、横浜ゴム、オーベクス、川崎重工業、住友重機械工業、澁澤倉庫、京阪ホールディングス、東宝、ニッピ
など500社以上の発起人、役員、相談役や支援などに関わり財界を指導。また医療、福祉、教育、外交や関東大震災復興など日本の近代化に貢献する。
天保11年(1840年)2月13日誕生。昭和6年11月11日死去。
渋沢平九郎・・・彰義隊士。振武軍隊士。
武蔵国榛沢郡下手計村名主 尾高勝五郎の五男。慶応3年(1867年)姉の夫である渋沢栄一が渡欧する事に伴い渋沢栄一の見立養子となる。
慶応4年(1868年)彰義隊に加盟し、後に分裂し振武軍の中軍組頭となり新政府軍と飯能戦争を戦う。
新政府軍に敗れ入間郡黒山村を敗走中に芸州藩士と遭遇し戦うも自刃する。
弘化4年(1847年)11月7日誕生。慶応4年(1868年)5月23日死去。
住所 東京都台東区谷中7丁目5−24 谷中霊園乙11号1側
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渋沢家墓所 |
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