念興寺
この寺の墓地最上段近くに慶応4年(1868年)正月五日の鳥羽伏見の戦に敗れ、傷つき海路落ちのびて来て自害した二人の武士の墓が祀られている。
一基は慈光院釈信了=俗名安部井留四郎という会津藩砲兵隊士であり、もう一基は勝解院釈信正=俗名土肥仲蔵で、京都見廻組隊士のものである。
土肥は慶応3年11月15日京都近江屋で土佐の坂本龍馬、中岡慎太郎を暗殺した七人の内の一人で見張役をしたといわれている。
【現地案内版より】
安部井留四郎・・・会津藩士。会津藩大砲臼井隊。慶応4年(1868年)1月5日鳥羽伏見の戦いで傷。紀州由良で死亡。
土肥仲蔵・・・京都見廻組並。慶応4年(1868年)1月3~5日鳥羽伏見の戦いで傷。同年1月11日に由良町の念興寺で自刃。
住所 和歌山県日高郡由良町網代97
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安部井留四郎 |
土肥仲蔵 |
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安部井留四郎 土肥仲蔵 |
安部井留四郎 土肥仲蔵 |
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念興寺 |
会津の落武者墓 案内 |
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