三浦家上屋敷跡

和歌山城の外郭である三の丸には、藩の役所や重臣等の住居がありました。中でも大手門を出た西側に存在した三浦家の上屋敷は、敷地面積が最大約15,000㎡に及ぶ広大な敷地を所有していました。
三浦家は付家老の安藤家と水野家、そして家老の久野家、水野太郎作家と共に紀州藩で「五家」と呼ばれた重臣でした。
三浦家の祖、為春は徳川家康の側室お万の方(養珠院)の兄です。お万の方は紀州徳川家初代頼宜の母親で、その縁により為春は幼い頼宜の傳(養育係)の任につきます。為春は頼宜を公私ともに支えました。
元和5年(1619年)紀伊国へ転封となった頼宜に従い入国。紀州藩家老となり8千石を与えられます(2代為時の代に1万5千石に加増)以後、明治維新まで為春から数えて8代に渡り、三浦家は紀州徳川家を補佐する役目をまっとうしました。
三浦家は上屋敷の他に城下に中屋敷と下屋敷を拝領していました。昭和60年(1985年)に岡公園に移築された茶室「夜雨荘」は三浦家の下屋敷にあった茶室だと伝えられています。
【現地案内版より】

住所 和歌山県和歌山市六番丁5
地図
三浦家上屋敷跡 三浦家上屋敷跡 案内