九頭神社
森田節斎・・・儒学者。
大和国五條村で森田文庵の子として生まれる。京都で猪飼敬所、頼山陽に学び、江戸へ出て昌平黌で学ぶ。
天保4年(1833年)大和国五條村に帰郷。弘化元年(1844年)京都へ出て私塾を開く。
梅田雲浜、安井息軒、塩谷宕陰、春日潜庵、頼三樹三郎、久坂玄瑞や吉田松陰らと交友し国事を談じる。
嘉永3年(1850年)十津川に向かい農兵組織について松本奎堂らと談じる。
嘉永7年(1854年)大坂で泊園書院を創設していた藤沢東畡を訪ね弟子である森田無絃と結婚する。
討幕運動を起こそうとするが幕府に疑われ備後国藤江村で数年身を潜め、万延元年(1860年)に姫路。文久元年(1861年)倉敷で私塾「簡塾」を開く。
慶応3年(1867年)幕府の探索が激しくなってきた為に倉敷を去り、慶応4年(1868年)紀伊国荒見村の北長左衛門を頼り隠遁していたが病気にかかり死去する。
文化8年(1811年)11月7日誕生。慶応4年(1868年)7月26日死去。
住所 和歌山県紀の川市荒見294
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森田節斎顕彰碑 |
森田節斎 案内 |
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森田節斎顕彰碑 |
九頭神社 |
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