高野山奥之院

井伊直弼・・・彦根藩15代藩主。幕府大老。
11代藩主の14男として生まれたが養子に出る事も叶わず32歳まで埋木舎で勉学、武術などに励み長野主膳、村山たか等とも交流する。
嘉永3年(1850年)長兄で14代藩主 井伊直元が死去した事により15代彦根藩主に就任。
安政5年(1858年)幕府大老に就任し日米修好条約、将軍継嗣問題、公武合体推進、安政の大獄など幕末の重要な問題、事件を処理していく。
安政7年(1860年)3月3日 江戸城桜田門外で水戸浪士、薩摩藩士に襲撃され暗殺された。
文化12年(1815年)10月29日誕生。安政7年(1860年)3月3日落命。

陸奥宗光・・・紀州藩士。海援隊士。政治家。
安政5年(1858年)江戸に出て安井息軒、水本成美に師事し儒学などを学ぶ。文久2年(1862年)に京都へ行き勤王運動に関与。
文久3年(1863年)勝海舟の神戸海軍操練所に入所し塾頭の坂本龍馬と出会う。元治元年(1864年)神戸海軍操練所が解散となり退所となる。後に坂本龍馬の亀山社中、海援隊に加わり勤王運動、商社活動を行う。
坂本龍馬が暗殺された後の慶応3年(1867年)12月7日には暗殺者と目された紀州藩士 三浦休太郎を襲撃する天満屋事件を起こした。
明治維新後は大阪や兵庫県知事などを務め明治2年(1870年)9月に和歌山藩欧州執事として渡欧し明治3年(1871年)5月に帰国。和歌山権大参事や神奈川県令、元老院議官などを務める。
明治10年(1877年)西南戦争の際には挙兵を画策するが断念し除族のうえ明治16年(1883年)1月まで投獄される。
出獄後にヨーロッパに留学し明治19年(1886年)2月に帰国。帰国後、外務省に入り駐米大使や農省務大臣、外務大臣などを歴任。
天保15年(1844年)7月7日誕生。明治30年(1897年)8月24日死去。

住所 和歌山県伊都郡高野町高野山550
地図
井伊直弼 井伊直弼
陸奥宗光 陸奥宗光 右面
陸奥宗光 裏面 陸奥宗光 右面
陸奥宗光 仙陵
弘法大師御廟