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加藤桜老の墓

加藤桜老・・・笠間藩士。長州藩校 明倫館教授。
水戸藩士 佐藤政祥の子として生まれ笠間藩士 加藤信義の養子となる。
森田桜園に儒学を学び文政11年(1828年)に中小姓を勤める。儒学修行を命じられ藩校 時習館の都講となる。
天保元年(1830年)都講を辞し水戸藩の会沢正志斎や藤田東湖に学び天保7年(1836年)に関東、東北を遊学する。
天保9年(1837年)江戸の昌平坂学問所に入学し儒学や兵術などを学ぶ。
天保13年(1842年)藩主相続騒動が起き政権に反対する行動を取った為に弘化元年(1844年)に10日間の謹慎処分となる。
その後も政権に反対する行動を取り続け嘉永4年(1851年)隠居を命じられる。
安政3年(1856年)隠居場所を「十三山書楼」と名付け私塾 詠帰塾を開設。長州藩 高杉晋作や会津藩 秋月悌次郎、水戸藩 藤田小四郎など他藩からも多くの人材が訪れている。
文久2年(1862年)高杉晋作の推薦により長州藩校 明倫館教授となり江戸の長州藩邸で教授する。
文久3年(1863年)京都の長州藩邸に移り、同年8月18日起きた八月十八日の政変により長州に移り萩の明倫館で教授する。
慶応4年(1868年)6月、明治新政府の軍務官御用掛となり、明治5年(1872年)教部省に入省し明治10年(1878年)に退官する。
文化8年(1811年)誕生。明治17年(1884年)11月12日死去。
加藤桜老の墓 墓碑