海保帆平
海保帆平・・・水戸藩士。
上州安中藩江戸屋敷で生まれる。天保6年(1835年)千葉周作の玄武館に入門し、天保11年(1840年)に大目録免許皆伝を得る。
北辰一刀流の達人として名が知られており、水戸藩と安中藩で話し合いをし水戸藩に天保12年(1841年)から仕官する。
弘化元年(1844年)徳川斉昭が幕府より隠居謹慎処分となると雪冤運動に奔走し処分を受ける。
安政元年(1854年)馬廻組に就任し江戸勤務となる。水戸藩より許可を得て剣術道場 振武館を設立する。
安政6年(1859年)11月、安政の大獄で「海保帆平が浪人を連れて井伊家に斬り込む」と噂が流れ幕命により謹慎処分となる。
文久2年(1862年)8月に罪が許される。文久3年(1863年)3月5日から25日に水戸藩主 徳川慶篤に従って京都へ行く。
文政5年(1822年)誕生。文久3年(1863年)10月14日死去。
住所 茨城県水戸市酒門町330(酒門共有墓地)
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海保帆平(2012年1月) |
海保帆平(2012年1月) |
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