本覚寺

吉田庄太夫の墓と顕彰碑、元八軒屋仕置場から移築した無縁塔が建てられている。

吉田庄太夫・・・和歌山藩士。
天保元年(1830年)から勘定奉行の下で働き、嘉永7年(1854年)江戸詰勘定組頭となる。安政2年(1855年)和歌山藩と新宮領の村替騒動が起こり住民の反対運動が起こる。
安政4年(1857年)吉田庄太夫が村替騒動の処置を行う事となったが、住民の主張に理があるとして村替の中止を決定する。藩の意に背いた責任を取って自刃した。
享和3年(1803年)誕生。安政5年(1858年)8月29日死去。

住所 和歌山県和歌山市数寄屋丁8
地図
吉田庄太夫顕彰碑 吉田庄太夫顕彰碑 裏面
吉田庄太夫の墓 吉田庄太夫の墓 右面
吉田庄太夫の墓 吉田庄太夫 案内
無縁塔 無縁塔 案内
本覚寺