羽山維碩邸跡
羽山維碩・・・医師。
幼名は芳之助、号は大学。京都で医学を学び天保5年(1834年)に帰国してこの地で開業。
嘉永3年(1850年)牛痘が和歌山藩に伝えられると率先して種痘の普及に努め「万一天然痘に罹った場合、金5両と米1俵を贈る」と安全性を保証し地域に種痘を普及させた。
嘉永6年(1853年)から明治2年(1870年)までの政治や経済、出来事など様々な情報を書き留めた全115冊の「彗星夢雑誌」を残している。
文化5年(1808年)6月24日誕生。明治11年(1878年)4月7日死去。
住所 和歌山県御坊市塩屋町北塩屋1087