供中口古戦場
東軍と阿武隈川を挟み対峙し、三浦権田夫義彰が慶応4年(1868年)7月29日に自刃を遂げた古戦場跡。
三浦権田夫 義彰・・・二本松藩士。
文久2年(1862年)藩主に従って江戸に上る。執政 丹羽丹波の専横を建言し二本松に送還され投獄される。
戊辰戦争で禁固刑を許され、農兵司令士として農兵を率いて出陣。
三浦権太夫義彰は王政復古の志があり、弓矢の矢じりを捨てて闘う意思も無かった為、
農兵を退去させて供中口で「あす散るも色は変わらじ山桜」と辞世の句を残して自刃する。
天保8年(1837年)誕生。慶応4年(1868年)7月29日死去。
住所 福島県二本松市油井供中37 周辺
|
三浦義彰戦死之地碑 |
石碑群 |
|
|
|
供中口古戦場案内 |
供中口古戦場 遠景 |
|
|
入口 |
|
|
|
|