大泉寺
畔田十兵衛・・・紀州藩士。博物学者。畔田翠山、源伴存とも名乗っている。
紀州藩医の家に生まれ本草学を小原桃洞、国学を本居大平に学ぶ。数十年諸国を遊歴し弘化年間に紀州藩医員となり薬草園管理を務める。
弘化2年(1845年)に「紫藤園攷証」を発刊。安政6年(1859年)藩命により熊野山中で植物の調査中に急病に掛かり本宮で客死。
「和州吉野郡群山記」、「水族志」、「古名録」「熊野物産初志」など多数の著書を残しているが生前に発刊した書物は「紫藤園攷証」のみとなっている。
寛政4年(1792年)3月誕生。安政6年(1859年)6月18日死去。
住所 和歌山県和歌山市吹上5丁目4−31
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畔田十兵衛の墓 |
畔田十兵衛の碑 |
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畔田十兵衛の墓と碑 |
大泉寺 |
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