造士館・演武館跡
薩摩藩72万石の第25代藩主・島津重豪は1773(安永2)年、有能な人材を育成するため、
鶴丸城前のこの広い敷地に藩校・造士館(はじめ聖堂という)と演武館(はじめ武芸稽古場)を創設した。
造士館では教授・助教・都講などの指導者のもと、8歳から21~22歳の城下士数百名が朱子学を中心に多様な教科を学んだが、庶民の聴講も許されていた。
中国高官や琉球国王の扁額が掲げられているように国際色が豊かであり、唐通事や朝鮮通事という通訳官も養成された。
演武館は剣術・槍術・弓術・馬術など藩中武芸の中心道場であった。示現流剣術の東郷家、御家伝犬追物の川上家など師範22家が厳しく指導にあたった。
両施設の運営資金は藩から与えられ、生徒からは学費を徴収しなかった。
西郷隆盛・大久保利通ら幕末維新期に日本の歴史を動かした若者の多くが、この地で人格を陶冶したのである。
【現地案内板より】
住所 鹿児島県鹿児島市山下町4−18(中央公園)
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造士館・演武館跡 |
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