善應寺

佐久良東雄・・・僧侶。国学者。歌人。
15歳で得度し天保6年(1835年)に善応寺(現在の土浦市)第18代住職となる。
住職になってからは歌人として知られるようになり善応寺に各藩の有志が訪れ藤田東湖、会沢正志斎、色川三中や藤森弘庵と親交を結ぶ。
天保13年(1842年)善応寺住職を辞めて江戸に移住し平田篤胤門で国学を学び、天保14年(1843年)に還俗し佐久良東雄と改名。
その後、大阪や京都に移住し各地で尊王論を遊説して周る。安政元年(1854年)京都で妙法院宮に仕え皇学教授に任じられる。
万延元年(1860年)大阪に移住し桜田門外の変に加わった高橋多一郎父子を匿った為、同年3月23日に捕縛され4月に江戸伝馬町牢獄に移送され絶食して6月27日に死亡。
文化8年(1811年)3月21日誕生。万延元年(1860年)6月27日死去。

大久保要・・・土浦藩士。
土浦藩江戸藩邸で生まれる。天保8年(1837年)に藩校郁文館が新設されると館頭となり藩の教育を担った 。
嘉永3年(1850年)藩主土屋寅直が大坂城代に任じられると、公用人として随行した、ロシア船の大坂来航や兵庫港開港問題に対応する。
安政5年(1858年)鹿児島へ脱出する西郷隆盛と月照を大坂の自宅で匿い、幕府より土浦での蟄居処分となる。
寛政10年(1798年)6月10日誕生。安政6年(1860年)12月13日死去。

木原老谷・・・土浦藩士。教育者。
通称は雄吉。藤森弘庵に学び、のち江戸へ出て昌平黌で学ぶ。文久3年(1863年)藩校采藻館の学監に就任。明治維新後は埼玉師範学校長を務めるなど教育に尽力する。
文政7年(1824年)誕生。明治16年(1883年)5月27日死去。

学之玄孝・・・土浦藩医。
土浦藩医 学之玄機の子として誕生。文化12年(1815年)藩主に御目見得し見習、医師、奥医師と進む。
藩主土屋寅直が大坂城代を務めていた嘉永7年(1854年)に大坂へ行き天保山警備に医師として加わる。
享和元年(1801年)誕生。万延元年(1860年)7月9日死去。

住所 茨城県土浦市中央1丁目13−34
地図
佐久良東雄 佐久良東雄
佐久良東雄 案内 佐久良東雄 碑
大久保要 大久保要
大久保要 案内 木原老谷
木原老谷 木原老谷 案内
学之玄孝 学之玄孝
善應寺 善應寺