禅源寺
松森胤保(長坂欣之助)・・・三田薩摩藩邸焼き討ちの際に総大将を務め、戊辰戦争時は支藩松山藩の軍務総裁、庄内藩一番大隊参謀として転戦する。
維新後は要職につきながらも学問に邁進し「北征記事」「両羽博物図譜」「開物径歴」を筆頭に数多くの書物を記す。
黒崎研堂・・・酒井了明の三男。明治元年に黒崎友信の養子となる。戊辰戦争に参戦し維新後は松ケ岡開墾、北海道開拓、銀行事業などに従事。
明治19年、書道家の日下部鳴鶴が鶴岡に来た際に入門し、書道家として名を残す。
住所 山形県鶴岡市新海町23−21
|
松森胤保の墓 |
松森胤保の墓 |
|
|
|
黒崎研堂の墓 |
黒崎研堂の墓 左面 |
|
|
禅源寺 |
|
|
|