座禅石

西郷隆盛や大久保利通の青春時代をじっと見守った人物がいました。
草牟田誓光寺の住職円了無参和尚といい、城下南林寺や島津家菩提寺福昌寺の住職を勤めた名僧です。
当時、薩摩藩は次の藩主をめぐって斉彬を押す一派と久光派が対立。ついに久光の実母であるお由羅の暗殺計画へと発展しました。
首謀者の一人赤山靱負(1850年3月切腹)は、可愛がっていた西郷へ血染めの肌着を残して切腹。大久保の父は喜界島へ流罪となりました。
下級役人の仕事を黙々とこなし、仲間と「近思録」(朱子学の書物)を読み、誓光寺で座禅を組んでいた2人に最初の試練が訪れたのです。
揺れ動く藩政の中で、座禅によって自分を見つめ直すことは、大きな時代の流れを見極める助けとなりました。
無参和尚の教えを受けた若き志士たちは有志組を結成。後に誠忠組と呼ばれ薩摩藩の中核として明治維新を成し遂げたのです。
その熱い志を育んだこの石は、いわば明治維新の礎石といえるかもしれません。
【現地案内板より】

無参・・・僧侶。
島津家菩提寺 福昌寺の67世住職。後に誓光寺に退隠。誓光寺で青年期であった西郷隆盛や大久保利通など、後の誠忠組の面々を指南した。
天明2年(1782年)誕生。嘉永4年(1851年)死去。

住所 鹿児島県鹿児島市城山1丁目45−12
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座禅石の碑 座禅石の碑
無参の塔 無参の塔
座禅石 案内