養徳寺
渡邉静庵・・・医師。渡邉洪基の父。福井の蘭学医 大岩主一に学び、のち京都で日野鼎哉、小石元瑞に西洋医学を学ぶ。
武生で町医を開業する。笠原白翁の協力を得て武生に種痘館を設ける。
文化5年(1808年)7月17日生誕。明治13年6月10日死去。
渡邉洪基・・・官僚。教育者。渡邉静庵の子。武生の立教館、福井の済世館で学んだ後、江戸に出て佐藤舜海に理化学、箕作麟祥に英語を学び慶応2年に慶應義塾に入学。
慶應義塾を卒業後に会津で英学校を開く。戊辰戦争には幕府側として参戦。明治2年、新政府に出仕し大学少助教のち外務省大録。
明治4年には岩倉使節団に随行し渡航。帰国後は公使、議官、東京府知事、帝国大学初代総長、衆議院議員、両毛鉄道社長、大倉商業学校督長などを歴任。
弘化5年(1848年)1月29日生誕。明治34年5月24日死去。
住所 福井県越前市武生柳町4−33
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渡邉家墓所 |
渡邉洪基 |
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渡邉洪基 案内 |
渡邉洪基案内 |
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養徳寺 |
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