海後磋磯之介が桜田門外の変後に隠れ住んでいた神社。
海後磋磯之介の実兄 粂之介が神職をしており、兄を頼って隠れ住んでいた。
海後磋磯之介・・・水戸藩士。警察官吏。
本米崎村 三嶋神社の神官の家に四男として生まれる。兄から家を継ぐが兄の子に譲り水戸へ出て剣術と砲術を学ぶ。
安政5年(1858年)戌牛の勅書問題では返納反対を唱え、安政6年(1859年)水戸街道長岡宿に屯集して勅書返納を阻止しようとする。
安政7年(1860年)桜田門外の変に加わり大老 井伊直弼暗殺を成功させ、現場を脱して潜伏する。
水戸藩小田野村の高野家へ隠れ、後に会津や越後で潜伏。
文久3年(1863年)水戸へ戻り、元治元年(1864年)水戸藩内訌では榊原新左衛門に属し天狗党と共に諸生党・幕府軍と戦う。
明治維新後は水戸藩士身分に戻り警視庁に勤める。退職後に神官へ戻った。
文政11年(1828年)5月7日誕生。明治36年(1903年)5月19日死去。
住所 茨城県常陸大宮市小田野173
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