横山安武・森有礼成育の地
横山安武と森有礼が育った地。
横山安武・・・薩摩藩士。
薩摩藩士 森有恕の四男。安政4年(1857年)薩摩藩士儒学者の横山安容の養子となる。
島津久光の小姓として仕え明治元年に島津久光の五男 悦之助(島津忠経)の守役となる。
島津悦之助に同行し明治2年から佐賀藩の弘道館、萩藩の明倫館に留学。
明治3年7月に東京に上り田口文蔵に陽明学を学ぶ。7月26日征韓論反対の建白書を集議院門扉に挿し入れ割腹自殺をし翌7月27日に死去。
天保14年1月1日誕生。明治3年7月27日死去。
森有礼・・・薩摩藩士。外交官。政治家。教育家。
薩摩藩士 森有恕の五男。安政7年(1860年)薩摩藩校 造士館で漢学を学び、元治元年(1864年)薩摩藩校 開成所で洋学を学ぶ。
元治2年(1865年)薩摩藩第一次英国留学生としてイギリスに留学。その後、ロシアを旅行し慶応3年(1867年)7月渡米、翌年の明治元年(1868年)6月帰国。
帰国後、徴士外国官権判事を務め、明治2年に廃刀令を否決され辞表を提出。明治3年に英学塾を開く。明治4年、少弁務使としてアメリカに渡り外交事務を担当。
明治5年に米国代理公使に就任。昇任。明治6年に福澤諭吉・西周・西村茂樹・中村正直・加藤弘之・津田真道・箕作麟祥らと共に明六社を結成。
明治8年に商法講習所(一橋大学の前身)を開設。同年、特命全公使として清国渡航。明治10年に帰国し外務卿代理に就任。
明治11年に外務大輔就任。明治12年駐英公使としてイギリスに渡航。明治17年に帰国し参事院議官、文部省御用掛兼勤に務める。
明治18年に初代文部大臣就任し教育制度の整備を行う。
明治22年2月11日、大日本帝国憲法発布式典の日、伊勢神宮不敬事件は森有礼であると信じた国粋主義者 西野文太郎に短刀で刺され翌日2月12日に死去。
弘化4年(1847年)7月13日誕生。明治22年2月12日死去。
住所 鹿児島県鹿児島市長田町21−34
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