横山(袴腰)砲台跡
島津家第27代当主 島津斉興は、海防体制を強化するため各地に砲台を築造させました。
横山(袴腰)砲台もその一つで、嘉永3年(1850年)頃に築かれました。
文久3年(1863年)の薩英戦争時には4門の大砲が配備され、戦闘が始まった時、砲台のすぐ前に停泊していた英艦バーシューズに砲撃を浴びせています。
英艦バーシューズは驚き錨を切り捨てて離脱しました。
なお、怒りは戦闘終了後に引き上げられ、薩摩藩とイギリスが和解した後、イギリスに変換されました。
【現地案内板より】
住所 鹿児島県鹿児島市桜島横山町61−4
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横山(袴腰)砲台跡 |
横山(袴腰)砲台跡 案内 |
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