横手城
久保田藩(秋田藩)の支城で別名を朝倉城という。
戊辰戦争時には戸村大学が城代として、わずかな兵と籠城していた。
明治元年8月11日庄内藩は降伏勧告書を送ったが、戸村大学は返事をせず1日にして落城してしまう。
現在は横手公園として整備され、二の丸跡には城を模した展望台(郷土資料館)、戊辰戦争戦死者を祀った戊辰戦死碑が建てられ、碑の裏には戦死者の名が刻まれている。
本丸跡には秋田神社が建立されている。秋田神社は横手城の廃材を再利用して建立された為、戊辰戦争時の銃弾跡が今も柱に残っている。
住所 秋田県横手市城山町2−29−1
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横手城 |
横手城 |
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横手城 案内 |
横手城から見た市内の風景 |
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戊辰戦死碑 |
戊辰戦死碑 裏面 |
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本丸跡 |
本丸跡・秋田神社 |
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朝倉城本丸趾 |
秋田神社弾痕跡? |
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秋田神社弾痕跡? |
秋田神社弾痕跡? |
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秋田神社弾痕跡? |
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