横田元綱の墓
横田藤三郎 元綱・・・水戸天狗党。下野芳賀郡真岡荒町の商人 横田藤四郎・母りうの三男。文久3年(1863年)父 藤四郎と水戸に行き藩士と交わる。
元治元年(1864年)父と天狗党筑波挙兵に参加し戦う。武田耕雲斎に従い西上途中の元治元年(1864年)11月20日松本藩、高島藩と信州和田峠の合戦で重傷を負い自害。
父 藤四郎は中津川宿本陣当主の市岡殷政に元綱の首級の埋葬を依頼し。市岡殷政は同じ国学者の間秀矩、肥田通光と共に市岡家の墓所に密かに埋めた。
弘化4年(1847年)誕生。元治元年11月20日自害。享年21歳。
墓所には水戸筑波山挙兵130年記念事業委員会より献木された水戸の梅が植えられている。
住所 岐阜県中津川市中津川2115−29 周辺
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横田元綱の墓 |
横田元綱の墓 |
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横田元綱の墓 |
忠烈碑 |
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水戸の紅梅 |
横田元綱 案内 |
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