養源寺
安井息軒・・・儒学者。飫肥藩士。
日向国清武郷の飫肥藩士 安井滄洲の次男として誕生。 幼少期に天然痘で片目を失うが学問を志し、文化7年(1810年)江戸に出て昌平坂学問所で学ぶ。
文政10年(1827年)飫肥に戻り侍読となり藩校では助読を務める。 天保8年(1837年)江戸へ戻り増上寺僧寮に入り、天保9年(1838年)私塾三計塾を開き門弟を育てる。
文久2年(1862年)幕府儒官となり昌平坂学問所で教授する。慶応4年(1868年)戊辰戦争後は飫肥藩江戸屋敷で塾生を指導する。
寛政11年(1799年)1月1日誕生。明治9年(1876年)9月23日死去。
井戸覚弘・・・幕臣。
幕臣 井戸伊織の子として誕生。弘化2年(1845年)目付から長崎奉行へ転任し、長崎に来航したフランスとアメリカとの対応を行う。
嘉永2年(1849年)江戸北町奉行に任命され、嘉永7年(1854年)ペリー再来では米国使節応接掛として交渉に従事し、日米和親条約締結に至った。
安政3年(1856年)大目付となり在任中に病死する。
安政5年(1858年)4月7日死去。
中根長十郎・・・一橋家家老。
一橋家家士 中根正峡の子として誕生。天保9年(1838年)一橋慶喜の側近として重用される。文久3年(1863年)10月23日、攘夷派浪士により江戸雉子橋門外で暗殺された。
寛政6年(1794年)誕生。文久3年(1863年)10月23日死去。
西村茂樹・・・佐倉藩士。啓蒙思想家。官僚。教育者。
号は泊翁。佐野藩付家老 西村芳郁の子として江戸藩邸で誕生。佐倉藩校成徳書院で学び、後に佐久間象山に砲術を学ぶ。
嘉永6年(1853年)ペリー来航を受け、佐倉藩主堀田正睦に積極的貿易論を建言し、老中阿部正弘にも海防策を献じた。
安政3年(1856年)堀田正睦が老中首座となると貿易取調御用掛に任じられ、外交機密文書を担当する。明治6年(1873年)同志と明六社を創設し啓蒙活動を行い、同年11月に文部省に出仕する。
明治8年(1875年)から天皇皇后の進講を務め貴族院議員、宮中顧問官、華族女学校長、文部省編輯局長などを歴任し、教科書編集や教育制度確立に尽力した。
文政11年(1828年)3月13日誕生。明治35年(1902年)8月18日死去。
住所 東京都文京区千駄木5丁目38−3
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安井息軒の墓 |
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| 井戸覚弘 |
井戸覚弘 |
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| 中根長十郎 |
中根長十郎 |
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| 西村茂樹 |
西村茂樹 案内 |
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