梁川星巌邸跡

この地は、戦国時代に西美濃三人衆の一人として活躍した稲葉一鉄の本拠・曽根城の一角であると共に、幕末の尊王憂国の漢詩人としてその名を全国に知られた梁川星巌が生まれ育った邸宅跡で、
かつては広大な敷地に白壁造りの土蔵が立ち並んでいました。星巌は、寛政元年(1789年)に大垣藩士稲津丈太郎長高の嫡男として生まれました。
幼名を善之丞長澄といい、七歳の時に華渓寺住職太随和尚から厳格な指導を受け、十九歳で江戸に出て勉学に励み、その後妻紅蘭と全国後吟遊行脚しました。
そして、頼山陽、藤田東湖、佐久間象山など高名な文化人・学者とも交友し、尊王の大義を主張するなど明治維新の成立に多大な影響を与えました。
【現地案内板より】

住所 岐阜県大垣市曽根町1丁目599−16 周辺
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梁川星巌邸跡 梁川星巌邸跡
梁川星巌邸跡 案内