梁川紅蘭生誕地

女流漢詩人及び梁川星巌の妻として著名な紅蘭は文化元年(1804年)に曽根の庄屋である稲津長好の次女として、この地に生まれました。幼名は「きみ」。漢詩人としては「張紅蘭」と称しました。
十三歳の時に、又従妹の梁川星厳が江戸から戻り、私塾の「梨花村草舎」を開設したので入塾しました。十七歳の時、二人は結婚しました。星巌三十二歳、紅蘭十七歳でした。
以後江戸や京都に住み、星巌が天下の漢詩人として大成し、明治維新の成立に貢献した活動を妻として弟子として支えました。
紅蘭が生涯に作った詩は400首程でどれも素晴らしく、絵も巧みで「群蝶の図」は、大垣市の重要文化財に指定されております。
明治12年(1879年)京都において76歳で死去。大正13年、維新成立に尽力した事に対して従五位を追贈されました。
【現地案内板より】

住所 岐阜県大垣市曽根町1丁目611 周辺
          地図
梁川紅蘭生誕地 梁川紅蘭生誕地
梁川紅蘭生誕地 案内