和算塾算光堂跡
和算塾算光堂は安政元年(1854年)に浅野孝光(五藤治)が居宅に設立したもので、幕末から明治にかけて子弟教育に大きく貢献し、その数は三百人にも達した。
浅野孝光は天保10年(1839年)安八郡外野村の豪農の家に生まれ幼少より秀才の誉れ高く稲津弥五郎(梁川星巌の妻紅蘭の兄)から関流和算術を修得したほか、天文、暦法、測量などの学問にも励み、
明治2年には大垣藩校の文学校助教授を勤めた。
【現地案内板より】
住所 岐阜県大垣市外野1丁目424−1
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和算塾算光堂跡 |
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和算塾算光堂跡 案内 |
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