鵜飼吉左衛門・幸吉

鵜飼吉左衛門・・・水戸藩士。
尾張国 頓聴寺住職 鵜飼真教の次男として生まれ、叔父の水戸藩士 鵜飼知盛の養子となる。
天保15年(1844年)藩主 徳川斉昭が幕府から隠退謹慎処分を受けると京都にて雪冤運動に奔走し処罰される。
嘉永6年(1853年)徳川斉昭の幕政参与に伴い鵜飼吉左衛門も復帰し水戸藩京都留守居役となる。
京都で尊王攘夷運動を行い、将軍継嗣問題では徳川慶喜擁立などの朝廷工作を行う。
安政5年(1858年)8月7日、孝明天皇からの密勅を受け取る際に持病が悪化し参上する事が出来なかった為、長男で京都留守居役助役 鵜飼幸吉が受け取った。
同年9月17日、密勅を受け取った事を問題視され京都西町奉行所に呼び出され鵜飼幸吉と共に捕縛される。
捕縛後、六角獄舎で拷問を受け、同年12月5日に江戸へ送られ安政6年(1859年)8月27日に伝馬町獄舎で死罪となった。
寛政10年(1798年)2月12日誕生。安政6年(1859年)8月27日死去。

鵜飼幸吉・・・水戸藩士。
安政3年(1856年)京都留守居役手添となり、安政4年(1857年)京都留守居役助役となる。
父である京都留守居役 鵜飼吉左衛門の元で尊王攘夷運動、朝廷工作を行う。
安政5年(1858年)8月7日、鵜飼吉左衛門の代わりに密勅を受取り同年8月16日に江戸水戸藩邸に密勅を届ける。
同年9月17日、密勅を受け取った事を問題視され京都西町奉行所に呼び出され鵜飼幸吉と共に捕縛される。
捕縛後、六角獄舎で拷問を受け、同年12月5日に江戸へ送られ安政6年(1859年)8月27日に伝馬町獄舎で死罪となった。
文政11年(1828年)誕生。安政6年(1859年)8月27日死去。

住所 茨城県水戸市松本町13−34
地図
鵜飼吉左衛門(2012年1月) 鵜飼吉左衛門(2012年1月)
鵜飼幸吉(2012年1月) 鵜飼家墓所(2012年1月)