豊田香窓・芙雄子

豊田香窓・・・水戸藩士。豊田芙雄子の夫。
通称は小太郎。大島高任、下間良弼から蘭学を学び彰考館総裁代理に就任し「大日本史」編纂に貢献。
安政4年(1857年)京都へ天文音楽の史料調査の為に行った際に三条実万と青蓮院宮に攘夷建議書を提出した為に帰藩後に謹慎処分となる。
後に脱藩し京都へ行き本圀寺警衛をしながら尊王活動を行うが、「京都を世界の中心とする開国進取の計」案が同志と合わず水戸藩尊王攘夷者によって暗殺される。
天保5年(1834年)誕生。慶応2年(1866年)9月2日死去。

豊田芙雄子・・・日本の保母第1号。教育者。豊田香窓の妻。
文久2年(1862年)豊田香窓に嫁ぐ。明治8年(1875年)東京女子師範学校の読書教員となり、明治9年(1876年)付属幼稚園開設に伴い日本初の保母となる。
明治13年(1879年)鹿児島県から招かれ県立幼稚園を創設する。
明治20年(1887年)から3年間女子教育視察の為に渡欧。帰国後は水戸高等女学校、茨城女子師範学校、大成女学校などで教鞭をとる。
弘化2年(1845年)誕生。昭和16年(1941年)12月1日死去。

住所 茨城県水戸市松本町13−34
地図
豊田香窓・芙雄子(2012年1月) 豊田香窓(2012年1月)
豊田香窓(2012年1月) 豊田芙雄子(2012年1月)