唐湊墓地

幾島の実家である朝倉家墓所に招魂墓が建てられている。

幾島・・・将軍 徳川家定夫人 天璋院(篤姫)付御年寄。
薩摩藩士 朝倉孫十郎景矩の娘。朝倉糸の名であったが、島津斉宣の娘 郁姫が近衛忠煕に嫁ぐ為に京都へ上る際、藤田と改名し上臈として従う。
嘉永3年(1850年)3月29日に郁姫が亡くなった後も近衛家に留まり出家して得浄院と称し郁姫の菩提を弔う。
安政3年(1856年)薩摩藩主 島津斉彬の養女 篤姫が近衛忠煕の養女として徳川家定に嫁いだ際に幾島と改名して篤姫付御年寄として江戸城大奥に入る。
大奥では薩摩藩と連絡を取り合い将軍継嗣問題や薩摩藩の動向についてなど重要な役目を果たす。
慶応4年(1868年)の戊辰戦争の際には天璋院(篤姫)の使者として薩摩藩と交渉し江戸無血開城にも尽力。
文化5年(1808年)6月18日誕生。明治3年4月26日死去。

住所 鹿児島県鹿児島市唐湊2丁目19
    地図
   幾島招魂墓 幾島招魂墓