所郁太郎贈従四位頌徳記念碑

所郁太郎が11歳の時に所伊織家に養子として入り育った地。
命を救われた井上馨(井上門多)が所郁太郎の従四位追贈に尽力。井上馨の孫である井上三郎が記念碑を建立。

所郁太郎・・・医者。志士。加納藩医 青木松軒に医業を学び、のち京都の安藤桂洲に学ぶ。京都では梁川星巌と出会い親交を結ぶ。万延元年(1860年)大阪の適塾に入塾する。
        京都の長州藩邸近くに開業。長州藩の患者が多く、尊王攘夷の思想を持つようになる。文久3年(1863年)長州藩邸医院総督となり、八月十八日の政変で長州に下る。
        元治元年(1864年)長州藩領で開業。同年9月には刺客に襲われた井上門多の治療にあたる。高杉晋作の功山寺挙兵に遊撃隊参謀として参戦したが、腸チフスにかかり病死。
        天保9年(1838年)2月16日誕生。慶応元年(1865年)3月12日病死。

住所 岐阜県揖斐郡大野町西方425
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