天聖寺跡

元治元年(1864年)に起きた元治甲子の乱(天狗党の乱)で天狗党の住処となり放置され荒廃し廃寺となった。

蛇口安太郎・・・盛岡藩士。
盛岡城下の農民 久保田弥七の長男。経史を遠藤喜蔵、剣術を上村分右衛門に学び18歳で師範を勤める。
才分を認められ盛岡藩士 蛇口家を継ぐ。文久元年(1861年)藩命で江戸に遊学し千葉周作の玄武館で剣術を磨く。
文久3年(1863年)脱藩。元治元年(1864年)天狗党の筑波挙兵に参加し同年9月5日に大船津戦に敗れ負傷して小川で死亡する。
天保10年(1839年)3月1日誕生。元治元年(1864年)9月30日死去。

千種保太郎・・・盛岡藩士。天狗党に参加し元治元年(1864年)9月30日に小川で死亡。

朝倉真斉・・・医師。
朝倉友真の父。和歌山の華岡家で医学を修行。小川の稽医館に勤め嘉永4年(1851年)頃から種痘を施行し普及させる。
文化10年(1813年)誕生。明治3年(1870年)10月16日死去。

朝倉友真・・・医師。
朝倉真斉の長男。医学修行中に尊攘運動に関わり小川に集まった浪士の面倒を見る。
元治元年(1864年)天狗党に加わり各地を転戦。常陸下妻で高崎藩兵と戦い負傷し捕われる。下総国大倉の僧舎に幽因中に自刃する。
幕末維新全殉難者名鑑では友実。墓石には友信と刻まれている。
天保9年(1838年)誕生。元治元年(1864年)9月7日死去。

本間玄琢・・・医師。
文化元年 (1804年)水戸藩に医学の学習所開設を願い出て「稽医館」を創立。種痘や手術を行い、医学書など3000冊の書物を集め学術的拠点を作る。稽医館は後に小川郷校となる。

住所 茨城県小美玉市小川1436
地図
蛇口安太郎 蛇口安太郎 左面
千種保太郎 蛇口安太郎、千種保太郎の墓
朝倉真斉 朝倉真斉 左面
朝倉友真 朝倉友真 右面
朝倉友真 左面 朝倉家墓所
本間玄琢 本間家一族の墓 案内
天聖寺 案内