天狗党の墓

元治元年(1864年)大平組と称する天狗党の一隊八百人余りが宮中へ屯集した。
この一隊は、幕府追討軍に追われ鹿島へ集まったもので、旅館や寺院などに宿陣したが、川股茂七郎以下八十人程を殿軍として、大船津から延方へと渡っていった。
この時、川股勢と幕府軍との間に砲戦があり、大船津は兵火に焼かれる。幕府軍は江戸から府中(石岡市)・玉造・鉾田を経て鹿島へ到着し残党を探索した。
捕縛された二十三人は下生の石橋外で打ち首にされ大掾辺田の馬捨て場に埋められた。明治になり斉藤俊 鹿島初代郡長によって「殉難諸士之墓」が建てられている。
【現地案内版より】

住所 茨城県鹿嶋市宮中3564
地図
元治甲子殉難碑 天狗党の墓
天狗党の墓 殉難諸子之墓
故諸子之墓 天狗党の墓
天狗党の墓 案内