貞昌寺
篠崎進・・・弘前藩士。 父に関流砲術を学び、天保13年(1842年)下曽根金三郎の信敦塾に入門して西洋砲術を修得。
弘前藩西洋砲術教授方に任じられ銃隊編成や砲台構築を担当。文久2年(1862年)幕府講武所下学頭に推挙される。
藩主に従い京都警衛のため上洛。戊辰の奥羽戦争にも従軍。文化12年(1815年)誕生。明治20年死去。
白鳥数馬(白取数馬)・・・弘前藩士。 元治元年(1864年)足軽頭で函館津軽陣屋守備隊長。明治元年、庄内征討秋田応援隊副長。
藩境碇ヶ関封鎖の時に藩論に抗し勤王を唱える。その後、庄内追討軍大隊長になるが辞職。
明治2年弘前藩の軍監に就任。文政6年(1823年)9月誕生。明治31年4月18日死去。
明治2年以降(何年かは不明)に白取から白鳥と性を変えている。
函館戦争で敗戦した旧幕府軍が収容された地。
住所 青森県弘前市新寺町108
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篠崎進 |
篠崎進 裏面 |
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篠崎進 |
白鳥数馬 |
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白鳥数馬 右面 |
白鳥数馬 |
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貞昌寺 |
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