田山河岸
時代の大きな「うねり」を先見した徳川慶喜公は大政を奉還して江戸城を明け渡すと水戸弘道館に身を寄せて静かに朝廷よりの沙汰を待っていた。
そして慶応4年(1868年)7月21日、慶喜公は最後の御退隠先である駿府に向かう折り水戸から鉾田の水運コースをとり銚子を経て駿河の国に向かっている。
この辺は、その折りに高瀬舟で銚子に向かった田山河岸の跡であり慶喜公が最後に踏んだ茨城の地でもある。
【現地案内版より】
住所 茨城県鉾田市鉾田1583−2
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徳川慶喜宿泊地 |
田山河岸 案内 |
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田山河岸 |
田山河岸 |
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