立志清右衛門氏宅跡

安政の大獄の余波は薩摩藩にも及び、藩は西郷隆盛を隠すために、名も菊地源吾と改め安政6年(1859年)奄美大島に流しました。その間に桜田門外の変が起こり、幕府の方針も変わったので3年後の文久2年(1862年)隆盛は帰藩を命じられ、当時の漁客船(イサバ船)で帰途につきましたが、海上会場は荒れて途中の島々に幾度かの避難を繰返したのち、この枕崎港に上陸しました。当夜はここ立志清右衛門宅に宿泊し、翌日鹿児島藩庁に還りました。【現地案内板より】

住所 鹿児島県枕崎市港町79
    地図
立志清右衛門氏宅跡 西郷隆盛と枕崎 案内