谷山地頭館跡

薩摩藩は鹿児島城下のほか113の外城(とじょう)という区域にわかれ直轄の外城には地頭館(役所)が設けられていた。
地頭館の周囲は麓という武士集落で、その外城の軍事・行政を管轄していた。
谷山には、この付近に地頭館がおかれ周囲に郷士が住んだ。
地頭館は石垣に囲まれ本門のある正面側には棟石のある石造りとなり、高さ12m、長さ113.5mにも及んだという。
境内には杉、楠、柞、孟宗竹等があって森山といわれた。この前の通りを仮屋馬場と呼んだ。
その後、地頭館は子弟を教育する稽古所さらに立志舘とかわり、明治5年(1872)には第15郷校となり、明治9年谷山小学校となった。
【現地案内板より】

住所 鹿児島県鹿児島市谷山中央1丁目4962(谷山小学校)
    地図
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谷山地頭館跡 案内