西郷南洲翁最後之宿泊地

明治10年(1877年)の「西南の役」の直前、西郷南洲翁は高須に滞在宿泊され、高須川から征かれました。
以下、「鹿屋郷土誌」(昭和15年刊)の記述を紹介します。「西郷隆盛は、年に幾回も当高須へ来られた。其の度の宿泊所は北高須、高須川沿いの田中吉右衛門の宅であった。」
「翁は当地を基地として、近隣の山野に狩猟された。又高山、小根占、大根占等への基地でもあった。」
明治10年2月、いよいよ私学校の生徒達が事を起こすと高須におられた西郷翁もとへ、早舟が来ました。
その時、宿の田中吉右衛門の息子、喜袈裟(当時10歳)の目撃談として次の証言が誌に記載されています。
「鹿児島から来た舟は大きな くり舟で漕ぎ手が五人で向江の人は背のすらりとした稍やせ型の立派な武士で、父がこの人は翁の弟(小兵衛)だと言った。」
「この迎えの人が来ると翁は『オイドンが出にゃヤッスイメカイ』と言って間も無く宿の直きの岸から舟に乗られた。」
その後「今般政府へ尋問の筋これあり」との大義のもと、2月15日50年ぶりとも言われる大雪の中、薩軍の一番隊が鹿児島から熊本方面へ出陣したのでした。
明治10年から140年にあたり高須が「西郷隆盛翁の縁の地」であることの証として是を設置します。
【現地案内板より】

住所 鹿児島県鹿屋市高須町2016
    地図
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西郷南洲翁ゆかりのまち高須 案内