鷹見泉石記念館

古河藩が用意した武家屋敷の一つ。弘化3年(1846年)に蟄居処分となった鷹見泉石が晩年を送り死去した屋敷。
鷹見泉石はこの屋敷で晩年も蘭学を研究していた。
安政5年(1858年)7月16日に鷹見泉石が亡くなり、空き家となっていた元治元年(1864年)には天狗党の乱で幕府に下った水戸藩士100名余りを収容していた。
明治維新後に鷹見家の所有となり、平成2年に改修して鷹見泉石記念館として開館された。

鷹見泉石・・・古河藩家老。蘭学者。
天保2年(1831年)家老に昇進し藩政改革を行う。天保5年(1834年)藩主 古河利位が大阪城代に就任し天保8年(1837年)の大塩平八郎の乱の際には鎮圧を担当する。
蝦夷地開拓や開港などを説いたため弘化3年(1846年)に免職となり古河で蟄居処分となる。
幼児期に古河藩医 川口信任の影響で学問に興味を示し、大槻玄沢に師事して天文、暦学、地理、博物等を学び。
大黒屋光太夫からロシア語。中浜万次郎から英語など同時代の多くの学者、幕府要人、芸術家や通詞など多くの人物と交流し膨大な数の蘭学資料を残した。
天明5年(1785年)6月29日誕生。安政5年(1858年)7月16日死去。

住所 茨城県古河市中央町3丁目11−2
地図
鷹見泉石記念館