大砲台場跡

大砲台場は、盛岡藩によって安政3年(1865年)に建造され、外国の船に備え大砲が置かれていました。
現在の新道は、この工事のために作られた道路です。
明治元年(1868年)の戊辰戦争のとき、野辺地を艦砲射撃した新政府軍の船(加賀丸)に対し、藩ではこの台場から反撃しています。
新政府軍の砲撃は50~60発で常光寺の大杉の枝に命中や下町・城内にも着弾しましたがいずれも爆裂はしなかったといわれます。
一方台場からは、17~18発発射し帆柱と船体中央に2発命中し、慌てて退散したといいます。
なお、一般には「陽春丸」とされていますが、最近発見された文書により『加賀丸』であったことがわかりました。
(野辺地町観光ガイドマップより)

住所 青森県上北郡野辺地町浜掛1 周辺
地図
大砲台場跡 大砲台場跡