多宝院
師岡正胤・・・国学者。勤王家。
江戸の医家 師岡理輔の子として誕生。京都で大国隆正に国学を学んだのち、嘉永5年(1852年)江戸気吹舎で平田銕胤に入門して平田国学の門人となる。
尊王攘夷運動に奔走し、幕府内部情報を得て平田銕胤に伝えるなど、平田派の政治情報収集の中心的役割を果たした。
文久3年(1863年)京都の等持院で足利三代木像梟首事件を起こし捕縛され、上田藩に禁固処分となる。
慶応3年(1868年)王政復古後に赦免され、新政府に出仕し刑法官、監察司知事、弾正台大巡察などを歴任した。
明治6年(1873年)京都松尾大社の大宮司となり、のち宮内省文学御用掛、伊勢神宮本部教授などを務めた。
文政12年(1829年)11月誕生。明治32年(1899年)1月23日死去
住所 東京都台東区谷中6丁目2−35