田彦中卵塔共同墓地

明治維新前夜、水戸藩のいわゆる天狗・諸生の争乱時において、天狗党鎮圧の為、幕府は関東諸藩に追討を命じた。その時の事である。
元治元年(1864年)9月、幕府軍の宇都宮藩の一隊が田彦に宿陣、額田に戦う天狗党の一隊は田彦に迫り宇都宮藩兵と激戦を展開。為に火の海と化した田彦宿は忽ちにして焼野原となった。
この戦いに宇都宮藩9名、役夫2人が戦死してこの地に眠る。
藩士 城所此面武貞《元治元年(1864年)9月9日、常陸田彦村で戦死》
    和田荘五正恭
    小松鉞彌尚利・・・小崎鉞彌か。小山とも。元治元年(1864年)9月8日、常陸田彦村で戦死
    松岡錀之丞高尚
    城所藤助武貞・・・元治元年(1864年)9月9日、常陸田彦村で戦死
    澤井又吉郎義英・・・元治元年(1864年)9月9日、常陸田彦村で戦死
    岩田鉞蔵政春・・・元治元年(1864年)9月9日、常陸田彦村で戦死
    松坂登記次光行・・・登記治とも。元治元年(1864年)10月、常陸で戦死
    久保次左衛門長政・・・治左衛門とも。元治元年(1864年)10月17日、常陸部田野で戦死
役夫 多蔵
    文五郎
【現地 碑より】

住所 茨城県ひたちなか市田彦540−8
地図
宇都宮藩士九人之墓 宇都宮藩役夫両名之墓
宇都宮藩士の墓 碑 宇都宮藩士の墓