鈴木玄道宅跡

鈴木家は慶長以来の旧家で、藩公に仕えて代々御殿医であった。格式ある家構えで竹柏居と称し、家紋も竹柏の三葉である。
玄道は正住(8代)正肥(9代)に仕え、明治になってからは一般患者の診察、治療につくし名医との誉れが高かった。
明治11年(1878年)55歳で没した。昭和20年(1945年)8月の原爆の被害により亡くなった広島文理科大学長 鈴木敏也の実家はここである。
【現地案内版より】

住所 愛知県犬山市犬山西古券1
地図
鈴木玄道宅跡 鈴木玄道宅跡 案内