住吉弘貫・住吉廣賢
住吉弘貫・・・住吉派7代目絵師。
5代目 住吉広行の次男として生まれ兄の6代目 住吉広尚の跡を継ぎ7代目となる。幕府の御用絵師として幕府画所に出仕。紫宸殿賢聖御障子御書次御用を命じられ旗本となる。
寛政5年(1793年)誕生。文久3年(1863年)7月22日死去。
住吉廣賢・・・住吉派8代目絵師。
伊予松山藩御用絵師 遠藤廣實の三男として誕生。7代目 住吉弘貫に絵画を習い養子となる。文久3年(1863年)住吉弘貫が亡くなり8代目となる。
慶応4年(1868年)4月19日に幕府御用絵師解任を通達される。徳川家家臣団の静岡移転に随行予定だったが病身で断念。
同年9月、新政府から出仕を命じられ東京府貫属となり、明治天皇新嘗祭の「四季花鳥図屏風」の制作を命じられる。
その後も新政府の画事を継続し、会計官租税司図籍方、大蔵省、内務省と勤める。明治11年(1878年)アーネスト・フェノロサの日本美術研究に協力。
天保6年(1835年)誕生 明治16年(1883年)5月30日死去
住所 東京都府中市多磨町4丁目628 多磨霊園 3区1種32側